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フィラデルフィアの歴史

Updated: 5/14/2022 Original: 3/10/2018

フィラデルフィア

フィラデルフィアの現在の地名はアラシェヒル (Alaşehir) となっています。葡萄畑が延々と続く道の中にありました。防霜のためでしょうか、あたりは少し煙がかっていましたが、農作業を終えておやつ休憩をしている農家の人々のほのぼのする光景を横目に見ながらの到着でした。

街にはローマ時代の遺跡はほぼ残っていないようです。紀元7世紀前後に建てられたとされる聖ヨハネ教会跡が唯一歴史を感じさせる見学場所になっていました。

Philadelphia

歴史

アッタロス朝

紀元前189年にペルガモン (Pergamon) のエウメネス2世 (Eumenes II) によって建設された。エウメネス2世には自分の後継者となる兄弟アッタロス2世 (Attalus II) がいた。アッタロス2世にはフィラデルフォス (Philadelphos) という「兄弟を愛するもの」の意の異名があり、エウメネス2世はアッタロス2世のこの異名に基づいて市をフィラデルフィアと命名した。

紀元前133年、後継者のいなかったアッタロス3世 (Attalus III) がアッタロス朝 (Attalid dynasty) 最後の王として死の間際に領土のいくつかをローマ (Rome) に譲渡したため、フィラデルフィアもローマの統治下に入った。

Philadelphia

ローマ時代

フィラデルフィアはサルデス (Sardis) の管轄地域となった。紀元17年の大地震により甚大な被害を被ったが、皇帝ティベリウス (Tiberius) が支援策として税を免除し、市は皇帝の栄誉を表した。発見された硬貨からカリギュラ (Caligula) も支援を差し伸べている。市はウェスパシアヌス (Vespasian) 配下で彼の家名 (cognomen) フラビア (Flavia) を授けられた。カラカラ (Caracalla) の時代には皇帝崇拝が盛んになり、当時の硬貨には「神殿の管理者」を意味するNeokoronが刻まれていた。

Philadelphia

現在ローマ時代の建造物跡はトプテペ (Toptepe) と呼ばれる丘に残る小さな劇場跡だけとなっている。

参考

Alaşehir