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アタリアの歴史

Updated: 5/14/2022 Original: 12/18/2019

アタリア

ペルガの遺跡が思った以上に大きかったので、アタリアの見学はその興奮を引きずったものになりました。

現在のアンタルヤはトルコの中でも大きな都市の1つなのですが、見学できる遺跡群についてはあまり多くはありません。市街地に行くとかろうじてハドリアヌス門がローマ時代をうかがわせますが、それ以外はとなるととても近代的でした。やはりリゾート地として有名なだけあります。

Attalia

とはいえハドリアヌス門から「旧市街」のエリアが始まり、ぶらり歩くには雰囲気がとても良かったです。特に眼下に望む海岸線からの眺めは圧巻で、昔に港町として栄えた時代のことを容易に想像することができました。

Attalia

アンタルヤで一番印象深かったのは博物館の規模です。ペルガ、アンタルヤそしてこの近郊で発見されたものが展示されているのですが、非常に充実していて時間を忘れました。ペルガがどれほど神々の彫刻で溢れかえっていたのかがわかったのが大きかったですね。

この博物館がとっても楽しくて、時間が押し押しになりのちに行こうと思っていた場所を一箇所つぶしてしまったぐらいなのでした。博物館、オススメです。

歴史 (英語版 Wikipedia より抄訳)

ヘレニズム期の紀元前150年ごろにペルガモン (Pergamon) のアッタロス2世 (Attalus II) がこの都市を建立したと考えられている。彼の栄誉を称えてアタレイア (Attaleia) もしくはアタリア (Attalia) と名付けられた。この都市はアッタロスの海軍基地としての役割を果たした。2008年に行われた、紀元前3世紀に遡ることができるドーウ・ガラジュ (Doğu Garajı) 区画の未発掘の遺跡における調査は、アタリアは以前にあった都市が再建され拡張されたものであることを示している。

Attalia Attalia

紀元前133年に、アッタロス2世の甥にあたるアッタロス3世 (Attalus III) が死の際にローマ帝国 (Roman Empire) に自分の王国を譲渡したことにより、アタリアはローマ帝国の一部となった。古代ローマの時代に都市は拡大、繁栄し、ペルガ (Perga)を首都とするパンフリア属州 (the province of Pamphylia Secunda) の都市の1つとなった。

130年にローマ皇帝ハドリアヌス (Hadrian) がアタリアを訪れており、それを記念してハドリアヌス門 (Hadrian's Gate) が建設された。

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資料

Antalya on Wikipeida as of 8/12/2021