デルベの歴史
Updated: 5/14/2022 Original: 12/17/2019
イコニオムを出てハイウェイで南東に向かうと、デルベのエリアに入ります。運転中はずっと霧が深く、一時は視界が十数メートルくらいしかなかったので不安になりながらの到着でした。
道中ずっとフラットで、走っても走っても畑が続く平野のど真ん中にありました。GPSの経路のせいで途中ぬかるみでスタックするような小さな農道も走らされましたし(周りは人も車も走っていないのでここでスタックしたら…と、なかなかに緊張しました)、指し示す丘に向かってもそれらしい雰囲気がずっとなかったので、デルベを表す標識が出てきたときにはとても嬉しかったですね。
発掘はまさに始まったばかりという雰囲気の丘でした。頂上には少し掘った跡があり、レンガの壁のようなものが見えていましたから、さらに発掘が進めばもっと色々なことがわかってくるんでしょうね。
歴史 (英語版 Wikipedia より抄訳)
キケロ (Cicero) の友人であったデルベのアンティパトロス (Antipater of Derbe) はデルベを支配していたが、ガラテアのアミュンタス (Amyntas of Galatia) に殺され、デルベはアミュンタスの領地となった。
ローマ皇帝 (Roman Emperor) クラウディウス (Claudius) の統治中、クラウディオデルベ (Claudioderbe) という特別の称号を受け、デルベから発掘された2世紀のものと思われる貨幣にもその名称が刻印されている。
およそ100km離れたイコニオムでおきた騒動と石打の危険から逃れるため、使徒パウロ (the apostle Paul) とバルナバ (Barnabas) がデルベを訪れている。
資料
Derbe on Wikipedia as of 8/10/2021