白いくま  | Lab  | Blog  | About

ルステラの場所と歴史

Updated: 5/14/2022 Original: 12/17/2019

ルステラ

デルベから2,3時間運転して向かったのがルステラです。ここは言われないと絶対に見過ごす場所ですね。看板も、標識も、発掘のあとも何もない、このふたこぶの丘が古代ルステラだと考えられています。訪れたことのある人のサイトから写真を確認しつつ、あらかじめGoogle Street Viewや衛星写真をたよりに場所を把握できたので、なんとか場所を見つけることができました。

Lystra

12月の農閑期だったので、あたりの畑にも人の気配が全くありませんでした。もしかしたら地元の人でも、ここがなんなのかを知っている人はほとんどいないのかもしれません。

Lystra

Wikiにあるように、近くにあるキリストラにはわかりやすい遺跡があるそうですが、資料を見る限りでは比較的近代の町の遺跡のようです。いずれにしろもっと調査が進めば新たにわかることもたくさんありそうです。僕が訪れた、古代ルステラの町と思われるこの丘も全然手付かずですもんね。

場所 (英語版 Wikipedia より抄訳)

コンヤ (Konya) の南30キロメートル、ハトゥンサライ村 (the village of Hatunsaray) の北で、アコレン町 (Akoren) の北約15キロメートルの場所に位置していると考えられている。ハトゥンサライ村の博物館に古代ルステラの遺物が展示されている。

ルステラとは使徒パウロが訪れた村の古代の名前である。現在、コンヤ県のメラン群 (Meran district) のギョクユルト (Gökyurt) に近いキリストラ (Kilistra) という名前の村がある。キリストラでは、壁に大きな十字架の描かれた古代の教会や、ワイン醸造所、住居のような建物、別の教会のある地元でアルスマス (Alusumas) と呼ばれる丘の頂上に作られた遺跡などがある。地元の人によると、古代アナトリア人の敵から隠れるために見つかりにくいように建設された都市がある。その場所については未だ発掘は始まっていない。

ルステラはエフェソス (Ephesus) からサルデス (Sardis)ピシディアのアンティオキア (Antioch of Pisidia)イコニオム (Iconium)デルベ (Derbe)、キリキア峠 (Cilician Gates) をこえてタルソス (Tarsus)、シリアのアンティオキア (Antioch of Syria) へ通ずる街道上に位置しており、ルステラからは西と南へ連絡した。

歴史 (英語版 Wikipedia より一部抄訳)

東方の山地民族に対する統制を確保するため、紀元前6年にローマ帝国 (Roman Empire) によりコロニア・ユリア・フェリクス・ジェミナ (Colonia Iulia Felix Gemina) という名でルステラに植民地が建設された。のちにローマのガラテア属州 (the province of Galatia) に併合され、すぐにルステラと北部に位置するイコニオム (Iconium) を結ぶ街道が建設された。

Lystra

資料

Lystra on Wikipedia as of 8/10/2021