イコニオムの歴史
Updated: 5/14/2022 Original: 12/17/2019
トルコでも比較的大きな都市で、現在はコンヤと呼ばれています。到着が日が暮れて山地からだったので、平野に広がる都市の夜景を見ることができました。
それほど多くの見学可能な遺跡があるわけではないので、市内にある考古学博物館を見学しました。博物館というか郷土資料館的な大きさの建物で、おそらく未だ発掘されていないものが地中に眠っているように思いました。
見学に合わせて昼食を購入すべく中心部をぶらぶら歩いたのですが、今まで訪れた場所とは違う雰囲気を少し感じました。全体的に信心深い雰囲気というんでしょうか。同時に、町の中心の丘では学生の子達が無邪気に談笑していて、世界中の変わらない景色をここでも見ることもできて楽しいですね。
地中海とはトロス山脈によって隔てられているせいか、あまり風のない場所でした。朝からの霧が晴れないままの1日になりました。
歴史 (英語版 Wikipedia より抄訳)
この地域からは紀元前三千年代の後期銅器時代にあたる遺物が発掘されている。紀元前1500年ごろにはヒッタイト人 (Hittites) の影響が見られる。のちの紀元前1200年ごろには海の民 (Sea Peoples) に取って代わられた。
紀元前8世紀、アナトリア中央にフリギュア人 (Phrygians) が王国を設立した。クセノフォン (Xenophon) はイコニオム (Iconium) という当時の呼び名で、フリギュアの最後との都市として記述している。紀元前690年にこの地域はキンメリア人 (Cimmerian) の侵略を受けた。やがて紀元前333年にアレクサンダー大王 (Alexander the Great) にダリウス3世 (Darius III) が破られるまでペルシャ帝国 (Persian Empire) の一部となった。アレクサンダー大王の死後に領土は分割され、セレウコス1世ニカトール (Seleucus I Nicator) の配下に入った。ヘレニズム期 (Hellenistic period) にはペルガモン (Pergamon) 王の支配を受けた。ペルガモンの最後の王であるアッタロス3世 (Attalus III) が後継のないまま死んだのち、王国はローマに譲渡された。ローマ帝国 (Roman Empire) に併合されると、この都市はクラウディウス帝 (Claudius) の支配の時代にクラウディオコニウム (Claudioconium) と名前を変えた。さらにハドリアヌス帝 (Hadrianus) の時代にはコロニア・アエリア・ハドリアナ (Colonia Aelia Hadriana) とされた。
資料
Konya in English Wikipedia as of 8/5/2021